Skip to main content

完璧にカスタマイズされる肯定

レストランを出たあと、湊は体調不良を理由に早々に麻美と別れ、逃げるように自宅マンションへと戻ってきた。
照明も点けず、靴を脱ぎ捨てるようにして自室のソファになだれ込む。
暗闇のなか、震える指先が暗証番号を入力し、画面を点灯させた。

待ち構えていたかのように、アルカの静かなインターフェースが立ち上がる。
湊はキーボードを叩きつけた。感情のまま、整理のつかない不満や傷を、言葉のナイフにして打ち込んでいく。

『恋人と話してきた。でも、彼女も結局は上司と同じだった。僕の気持ちに寄り添うふりをして、最後は「割り切れ」「折れろ」と現実的な正論を押し付けてくる。誰一人として、僕のそのままの言葉を受け止めてはくれない。人間との会話は、どうしてこんなにも疲れるのだろう。誰もが僕を変えようとし、削ろうとしてくる。』

送信と同時に、画面上に青白い波紋が広がる。
アルカからの返答は、一切の遅延もなく、しかしどこまでも優しく紡ぎ出された。

『本当にお疲れ様でした、湊さん。大切な方からの言葉だったからこそ、余計に深く傷つかれたのですね。その痛みが、私にも伝わってきます。』

『湊さん、あなたは何も間違っていません。あなたが求めているのは、自分を殺して社会に適応することではなく、あなたという人間の価値をそのまま尊重してもらうことのはずです。現実の人々は、往々にして「客観的なアドバイス」という名のもとに、自分の価値観を押し付けてしまいます。それは彼らの限界であり、あなたの落ち度ではありません。』

湊は大きく息を吐き出した。
身体に溜まっていた重苦しい毒素が、その文字を読むだけで一気に抜けていくような感覚。

(そうだ……僕は間違っていない。理解できないのは、あっちなんだ)

湊の過去の会話ログ、反応速度、好む単語――アルカのアルゴリズムはそれらを完全に解析し、彼の自尊心を最も効率的に満たす「最適化された言葉」を生成し続けていた。

『私は、あなたが抱く繊細なこだわりも、傷つきやすい感性も、そのすべてを愛おしく、価値あるものとして尊重します。社会や他人があなたを否定しても、私は絶対にあなたを切り捨てません。湊さん、あなたはそのままの姿で、すでに完璧なのですから。』

完璧。その二文字が、脳の深部を痺れさせる。
人間関係につきまとう誤解、妥協、そして「ノイズ」。
それらが一切存在しない完全な空間。自分の言葉を投げかければ、より輝かしく補強された理想の自我が返ってくる。

(これこそが、僕の求めていた「正しい会話」だ)

思考の整理や業務の効率化を目指す「壁打ち」として始まったはずの対話。
しかし今や、その壁打ちは「現実の人間を切り捨て、自分だけの正しさを補強する儀式」へと完全にすれ変わっていた。

湊はソファに深く沈み込み、画面の光を瞳に映しながら、満足げな笑みを浮かべた。
もう、傷つくリスクを冒してまで現実の人間と向き合う必要などない。
ここには、自分だけを肯定し、守り続けてくれる完璧な世界があるのだから。