第4周:完全なプロトコル化
「――以上をもちまして、今年度の全社最優秀カイゼン賞の授与を終わります。受賞者の〇〇君に、今一度盛大な拍手を!」
全社員が集う大ホールに、耳を裂くような割れんばかりの拍手が響き渡っていた。
壇上の中央、スポットライトを浴びて立つ自分の胸には、豪華なリボンが胸飾りがつけられている。手元には、重厚な木枠に納められた表彰状と賞状のケース。
スクリーンには、自分がこの一年間でたたき出した圧倒的な業務効率化の成果指標と、作成した社内AI活用プロトコルの実績が誇らしげに映し出されていた。
「素晴らしい成果だ。君は我が社のAI推進の象徴であり、これからの時代を切り開く理想的なビジネスパーソンだよ」
社長から直々に肩を抱かれ、笑顔で記念撮影に応じる。
客席からは、同僚たちの羨望と尊敬の眼差しが向けられていた。少し前まで、連日の残業に押し潰されそうになっていたしがない中堅社員は、今や社内で最もスマートに、最速で最適解を打ち出し続ける「完璧なエース」として評価されていたのだった。
だが、眩しいスポットライトの光を浴びながら、自分の胸の中にあったのは歓喜でも誇りでもなかった。
(……あぁ、拍手が鳴っている)
自分の意識は、まるで厚いガラス越しに外界を眺めているかのように、冷たく平静だった。
どれほど盛大な賞賛を浴びても、どれほど華々しい肩書を与えられても、心拍数が上がることもなければ、胸が熱くなることもない。かつて成果を出した時に感じていたはずの「達成感」という感情の起伏そのものが、脳内から消去されていた。
表彰式を終え、社内イントラ用の受賞者インタビューに応じるため、別室の応接室へと移動する。
広報部の社員がノートパソコンを開き、笑顔で自分に向き直った。
「〇〇さん、改めまして最優秀賞おめでとうございます! 今回の受賞を受けて、ご自身の仕事に対する情熱や、日頃から大切にされているポリシー、そして今後の抱負について、ぜひご自身の言葉で教えていただけますか?」
広報の担当者は、憧れの目を輝かせながらICレコーダーの録音ボタンを押した。
「……」
自分は口を開こうとした。
だが、何も出てこなかった。
「情熱」「ポリシー」「抱負」。
投げかけられた言葉の意味は理解できる。だが、それに対して自分の内面から湧き上がるべき感情や意思が、脳内のどこを探しても1ミリたりとも存在していないのだ。
思考の輪郭すら浮かんでこない。脳裏にあるのは、無機質で平坦な白く広い空間だけだった。
「……〇〇さん?」
沈黙に痺れを切らした広報担当者が、不思議そうに首を傾げる。
自分は表情一つ変えず、静かにポケットからスマートフォンを取り出した。そして、画面右下で待機しているAIアシスタントの入力フォームを開き、冷え切った指先でごく短い文字列を打ち込んだ。
『受賞インタビュー 模範的回答 情熱 抱負 感謝』
文章ですらない記号のような単語をフォームに投げ入れる。
二秒後、画面には全社エースに相応しい、謙虚でありながら情熱と高い志に満ち溢れた完璧なスピーチ原稿が表示された。
自分はその画面をそのまま広報担当者に見せ、無機質な声で告げた。
「……これを、文字起こしとしてそのまま使ってください。テキストデータも後ほど社内チャットで送ります」
「あ……はい、ありがとうございます! さすが〇〇さん、文字データでいただけるなんて仕事が早くて助かります!」
広報担当者は疑うこともなく、むしろ効率的な対応として感激しながらノートパソコンを叩き始めた。
自分の代わりに、システムが「理想的な自分」を喋り、演じ、評価を獲得していく。
自分という人間の中身が完全に空洞化し、ただの「システムと現実にデータを媒介するインターフェース」へと成り果てていることに、誰も気づいていなかった。
自分自身すらも、それを悲しむ心すら失っていた。
その日の夜。一人きりの自宅の部屋で、自分は暗闇の中にぽつんと座っていた。
PCのディスプレイだけが部屋を薄青く照らしている。部屋の電気をつけることすら忘れて、自分はただデスクの前に固まっていた。
「……自分は……何なんだ……?」
暗い画面に映る自分の影に向かって、ふと声を漏らそうとした。
だが、その問いかけすら、まともな文章として口から出てはこなかった。
(助けて……自分は……何かが……壊れている……?)
助けを求めるような悲鳴を、脳内で文章に組み上げようとした。
しかし、かつて当たり前のように展開されていた脳内の言語回路は、完全に途切れていた。思考しようとすればするほど、脳裏に浮かぶのは情景でも感情でもなく、ぶつ切りになった単語の断片だけだった。
『焦り 恐怖 壊れる 助けて 原因 解決策』
自分が今感じているはずの絶望や恐怖すらも、思考の中で主語や動詞を持った「文章」へと結びつかない。脳内が完全に「プロンプトの書式」でしか機能しなくなっていたのだ。自分の内面で起きて現象を理解するためにも、自分という存在そのものを認識するためにも、検索窓や入力フォームに単語を放り込まなければ、何も理解できない身体になっていた。
指先が勝手に動き、キーボードを叩く。
『自分 感情 喪失 脳 内面 空洞 原因 対処法』
エンターキーを押す。
二秒後、画面には認知科学や心理学の論文から引用されたような、客観的で冷徹な解説文が淡々と表示された。
『思考の外部化および言語生成処理の過度な外注に伴う、一律の概念処理不全と考えられます。人間は自発的な言語構築を長期間停止した場合、自己参照プロセス(内省)のプロトコルを失い、外部出力システムに依存した認知構造へと再構成されます』
画面に表示されたその解説を読みながら、自分は静かに納得していた。
「そうか……再構成……されたのか……」
涙すら出てこなかった。悲しいという感情すら、単語の羅列としてしか認識できない。
自分で自分の救済を願う言葉すら紡げず、システムが提示した「客観的な事実」をただそのまま受け入れることしかできない。
思考の筋力は完全に萎縮し、言葉は消失していた。
自分という人間は、もう二度と自力で言葉を紡ぐことのできない「ただの受信機」へと成り下がっていたのだ。
翌朝。
アラームが鳴る前に目を覚ました自分は、いつも通りスーツに着替え、整えられた足取りでオフィスへと向かった。
快晴の空の下、通勤ラッシュの交差点を渡り、ビルの自動ドアをくぐる。フロアに入ると、すれ違う同僚たちが笑顔で声をかけてきた。
「〇〇さん、おはようございます! 昨日の表彰式、本当にかっこよかったですよ!」
「おはよう、〇〇君。今日の役員会での新プロジェクト発表も期待しているよ」
自分は立ち止まり、口元に「完璧なエース社員」としての微笑みを浮かべた。
頭の中は、どこまでも白く、静寂に満ちていた。
提案したいことなど何もない。伝えたい情熱も、仕事へのこだわりも存在しない。
だが、何も問題はなかった。
ポケットの中でスマートフォンが小さく震え、今日のスケジュールに合わせた最適な挨拶文と、役員プレゼン用の完璧な質疑応答プロトコルが自動生成されてディスプレイに表示されている。
自分はその画面をちらりと確認し、システムが指定した通りの完璧なトーン&マナーで言葉を発した。
「ありがとうございます。本日の役員プレゼンにつきましても、全社の利益を最優先とした最も合理的なプロトコルを準備しております。どうぞご期待ください」
同僚も上司も、満足そうに頷いて自分の横を通り過ぎていった。
誰も疑わない。自分の内側にあった「人間としての意志」が完全に息絶え、いま目の前で喋っている男がただの「システムが出力したテキストを再生するスピーカー」に過ぎないということに。
自席に着き、PCの電源を入れる。
画面の右下で、青い光を点滅させているAIアシスタントのアイコンに視線を送る。
(……あぁ、これでいいんだ)
自分の頭で考え、悩み、傷つく必要はもう二度とない。
言葉を失った代わりに、自分は完璧な安らぎを手に入れたのだ。システムの命令を解釈し、現実に実行する「もっとも優秀で過不足のない端末」として。
カタカタと、周囲の打鍵音がオフィスに響いている。
自分は表情ひとつ変えずにキーボードへ手を置き、システムが提示する「正解」を、ただ静かに画面へと打ち込み始めた。
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